
「見栄え重視の呪縛を解きたい」──DX時代に問う、入力と効率のバランス
弁護士:島田 直行
投稿日:2025.04.09
書式が指定されている文書を作成する機会は、弁護士の仕事では少なくありません。裁判所提出用の書類や、官公庁への申請書類、各種契約書に至るまで、多種多様なフォーマットに日々向き合っています。
ところが、この「フォーマット」が曲者です。WordやExcelで配布されたテンプレートが非常に使いにくいことが多く、思わずため息が出る場面もしばしば。フォントを整えるだけでひと苦労。ちょっと何かを入力すると段落がズレたり、レイアウトが崩れたり。結果的に、整える作業に多くの時間を費やすことになり、「もう手書きで書いた方が早いのでは?」と本気で思ってしまうこともあるのです。
とくに厄介なのが、Excelのセル形式で作られた文書です。入力するにも手間がかかり、修正しようとすると全体のバランスが崩れてしまう。作る側も大変でしょうが、受け取る側としてもこれはなかなか辛いものがあります。
こうした非効率なフォーマットが出回る理由のひとつは、最終的に紙で印刷することを前提に作られているからだと思います。いかに見栄えを良くするかという視点から逆算して設計されているため、入力のしやすさという観点が軽視されがちなのです。
けれども、いまは「DX(デジタルトランスフォーメーション)」の時代です。業務の効率化や生産性の向上が声高に叫ばれているなかで、未だに「入力者泣かせ」のフォーマットが主流であることに、少なからず違和感を覚えます。
私が感じるのは、「見栄えの良さ」と「入力のしやすさ」は決して相反するものではないということです。むしろ両立させることは可能なはずです。入力の手間を最小限に抑えつつ、出力された文書もすっきりと美しく見せる。それだけの技術もツールも、すでに揃っているはずです。
それなのに、なぜか日本では「苦労して整えること」自体が評価されてしまう。職人的な努力や手間をかけることに価値を見出してしまう文化があるのではないかと感じます。でも、その「努力」は本当に評価されるべきなのでしょうか? 効率化できる部分まで手作業でこなすことが、美徳とされてしまっている現状があるように思います。
私にとって、DXとは単にデジタルデバイスを導入することではありません。あくまで、業務の目的を達成するうえで「もっと効率の良いやり方があるのではないか?」と見直す視点のこと。だからこそ、もし手書きの方が早くて確実であれば、手書きで十分だと思っています。
見栄えを整えること自体は決して悪いことではありません。美しいものは伝わりやすいし、理解もしやすくなります。でも「なぜ見栄えを整えるのか」という目的を見失ってしまっては本末転倒です。美しくすることが目的になってしまうと、それがかえって非効率を生み出してしまうのです。
日々の仕事に追われていると、「何が無駄で、何が本当に必要な作業なのか」を見直す時間が取れません。ただひたすら今ある業務を“早くこなす”ことばかりに目が向いてしまい、本質的な改善にはつながらない。それではいつまで経っても、イライラと非効率から抜け出すことはできないでしょう。
だからこそ、時には立ち止まって、「このやり方で本当にいいのか?」と問い直す時間を持ちたいものです。日々の積み重ねが、いつか大きな変化につながるかもしれません。
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